開発途上国と呼ばれる国で2年間生活を行いながら、その国の発展のためサポートを行う青年海外協力隊。
そんな青年海外協力隊として、エチオピアとカンボジアで水泳指導を行っていた僕の経験や体験談をご紹介♪
今回は「カンボジア水泳隊員として任地で過ごす最後の1日」についてお話します!
本記事の内容
- 青年海外協力隊、カンボジア水泳隊員。任地での最後の1日とは?
- カンボジア流のお別れの仕方。
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大学(びわこ成蹊スポーツ大学)卒業後 ▷ 教員として勤務 ▷ 青年海外協力隊、アイルランドへワーキングホリデーなど計3年半の海外生活を経験した後、地元沖縄にて水泳のインストラクターとして働きながらブログを運営しています。
青年海外協力隊、カンボジア水泳隊員として過ごした町Kampong Cham(コンポンチャム)。首都のプノンペンから約120kmほど離れた小さな田舎町で過ごした最後の1日についてお話します。日本とは全く異なったカンボジアらしいお別れ文化なども体験できました♪
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1:青年海外協力隊カンボジア水泳隊員、任地で過ごす最後の日とは?
「任地」とは??
青年海外協力隊として開発途上国に派遣される際には、「任地」と呼ばれる活動の拠点となる場所のこと。
※僕の任地はカンボジアの首都、プノンペンから約120kmほど離れたKampong Cham(コンポンチャム)と呼ばれる町でした。
最終日のお昼の事…いつものようにお昼ご飯を食べていると、ザワザワとしている同僚や選手達。
※カンボジアでは僕は毎食、選手・同僚たちとご飯を食べていました。
「ご飯を食べたらお別れのセレモニーをするから!」と言われるがまま・連れられるがままに場所を移動をすると、何やら準備をしている選手と同僚たち。
カンボジアでは、家族・友達などが遠くへ行く場合などに、クロマ―と呼ばれるカンボジア伝統のスカーフをプレゼントします。そのクロマ―を渡すと同時に日本で言う「無病息災、安全な旅ができますように。」というような意味が込められた”おまじない”のような言葉を遠くへ旅立つ人に言う文化があるようで、僕もその儀式をしていただきました。
<約1年間一緒に水泳指導をしてくれたカウンターパート(同僚)>
<選手達からもプレゼントを頂きました>
同僚・選手1人1人から1枚づつクローマーと”おまじない”の言葉をもらい、僕の首には大量のクロマ―がかけられることに。
しかし、クロマ―はカンボジア人にとってなくてはならないモノの1とつともいえるので、カンボジアで生活していた思い出としてすごくもらえて嬉しかったです。
(変な重い土産などをもらわなくてよかった。と少しほっともしました。※実際に超重い手土産をもらう隊員さんもいるようです。)
エチオピアから急遽カンボジアへの移動が決定し、カンボジアの言語であるクメールもほぼ0の状態で始まった僕のカンボジアでの生活。最初はコミュニケーションがとることが出来ず難しいと感じることもたくさんありましたが、それでも温かく、親切にしてくれた選手・同僚たち。
たった1年間ほどの時間でしたが、「家族のように接してくれ支えてくれたこと」「最後まで僕についてきてくれたこと」に感謝の気持ちでいっぱいでした。
2:カンボジア流のお別れはまだ続きが…
お昼ご飯の後に、「カンボジアの正式なお別れの文化」らしいことをしていただいたのですが、実際本当のカンボジアらしいお別れの儀式は夜に起こりました。
カンボジア流お別れの儀式:BBQパーティー
カンボジアではBBQ(バーベキュー)がすごく盛んで、カンボジア人みんな大好き。BBQのレストランなども多くあるほどカンボジアの国民的食事ともいえるBBQを僕の任地最終日にしていただきました。
BBQの場所は大胆にプールサイドで行うというカンボジアだからできるBBQをしていただきました。(日本じゃ絶対にやらない)
<すごくカンボジアを感じたBBQ>
BBQが落ち着くと、改めて「お別れの言葉」などをみんなからもらい2回目のプレゼントやケーキなども登場。
※夜のBBQには選手の保護者の方などたくさんの方が来てくれ、例の”おまじない”をしてくれました。
<カンボジア生活中に1番仲良くしていた同僚であり友達>
カンボジアでこういう場面で登場するケーキは「ほとんど食べられることがなく」なぜか顔にべったりと塗りたくられます。
僕の場合も例外ではなく、頂いたケーキをべったりと顔に塗りたくられました。(結局、ケーキを1口も食べることはありませんでした。)
<べったりと顔に塗られるケーキ>
場所もプールサイド。食べ物を粗末にしないという考え方を強く持つ日本では考えられない状況ではありましたが、ここはカンボジア。カンボジア流に従って、この日だけは僕もケーキを素手で握りしめ、同僚や選手たちの顔にケーキを塗りたくりました笑。
<みんな顔にケーキが…>
一旦、イベントが落ち着けばさすがのカンボジア人。主役の事(僕)などは置いといて、カラオケをしたりダンスをしたりと自分たちが楽しみたいように楽しみ、いつの間にか解散。任地で過ごした最後の夜の宴も結局は「カンボジアだな。」と思いつつ、日本では体験できない時間を過ごしました。
<カンボジア恒例のダンスタイム>
楽しくも騒がしくも忙しくもあった、Kampong Cham(コンポンチャム)での最後の1日。昼間から別れの儀式をしていただいていたので、帰国へのパッキングもほとんどできておらず、夜の晩餐が終了後に急いでパッキング作業に追われたことも今ではいい思い出の1つ。
Kampong Cham(コンポンチャム)で過ごした時間はわずか10カ月ほどでしたが、楽しいことも辛いこともすべてひっくるめて、選手・同僚たちと過ごした日々はすごく貴重な時間でした。
カンボジアの穏やか時間の流れを感じながら過ごした日々が終わってしまうことへの寂しさや切なさを感じるとともに、日本に帰れることの安心感など少し複雑な心境でしたが、カンボジアで生活できたこと・Kampong Cham(コンポンチャム)、カンボジアでの多くの出会いや思い出をいつまでも大切にしていたいなと思います。
本当にありがとうございました!
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YOSHI@