青年海外協力隊の話

青年海外協力隊、水泳隊員としての2年間を振り返ります!

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開発途上国と呼ばれる国で2年間生活を行いながら、その国の発展のサポートを行う青年海外協力隊

そんな青年海外協力隊としてエチオピアとカンボジアで水泳指導を行っていた僕の経験・体験をご紹介♪
今回は「青年海外協力隊としての2年間を振り返る」という事でお話します!

 

 

 

本記事の内容

  • 僕の2年間の協力隊生活を振り返る。
  • 協力隊に参加して感じたこと。

 

 

 

✔ この記事を書いている人

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大学(びわこ成蹊スポーツ大学)卒業後 ▷ 教員として勤務 ▷ 青年海外協力隊、アイルランドへワーキングホリデーなど計3年半の海外生活を経験した後、地元沖縄にて水泳のインストラクターとして働きながらブログを運営しています。

 

 

 

水泳の競技力向上や普及を図るために基本的に活動を行う水泳隊員として、エチオピアとカンボジアの2か国へ青年海外協力隊として派遣された僕。2年間の協力隊生活は、オリジナリティーにあふれる時間であったことはもちろんですが、協力隊員としても珍しい体験をさせてもらいました。

良いこともそうでない部分も振り返りながら、自分自身の協力隊生活を振り返ってみたいと思います!

 

 

 

 

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1:僕の青年海外協力隊としての2年間を振り返ってみます!

2016年10月。海外、発展途上国でキラキラと輝く自分の姿を想像しながら青年海外協力隊として日本を飛び立った僕。

日本から飛び出し、到着した東アフリカに位置する国エチオピア。エチオピアという国は、今まで僕が暮らしてきた日本という国とは言葉・文化も何もかもが違う場所で、すごく刺激的な国

 

<エチオピアの首都、アディスアベバ>

 

 

強い刺激のあるエチオピアの生活ではありましたが、青年海外協力隊としての活動としては「国の治安的な状況」や「エチオピアの水泳施設の状況」「水泳連盟の状態」などがすごく悪く、なかなか思うような活動ができない苦悩な日々を過ごしました。

 

 

「何のために協力隊になったのだろう?」

 

 

と何度も考え、「協力隊として続ける意味があるのか?」や「自分の力のなさ」を感じながら、思うように活動ができない事をネガティブにとらえることを繰り返し、エチオピアで活動を行う他の隊員さんのことを羨んだりすることもありました。

しかし、自分で決意した青年海外協力隊という道。2年間という限られた時間の中で「少しでも自分自身が満足できる結果」をどんな形であれ残したいと考え、「自分のできること」を1つずつ試行錯誤しながら水泳隊員としての日々を過ごしました。

 

 

▽詳しいエチオピアでの活動は以下の記事をご覧ください。▲

 

 

結果的には約1年間生活したエチオピアでは協力隊として大きな結果は残せず、「現地の状況」や「今後のエチオピアが改善される見通しがない」と自分自身の判断をJICA事務所に伝え、エチオピアを離れることを決意。任国変更と呼ばれる、活動する国(任国)を移動することになります。

 

 

▲任国変更についての詳しいことは以下の記事をご覧ください。▽

 

 

YOSHI@
言葉にすれば簡単ですが、生活に慣れ親しんだエチオピアを離れること、全くわからない新たな場所への移動など多くの不安やリスクの可能性も感じながら決断した任国変更であり、すごく大きな決断でした。

 

 

 

アフリカの地を離れ、東南アジアカンボジアでの活動が開始!

任国変更という決断を取り、エチオピアを離れ次に派遣された国は、アフリカから遠く離れ東南アジアに位置する国、カンボジア。元々、青年海外協力隊の水泳隊員が活動している国であり、水泳をする環境としてはエチオピアの何倍も整っている環境がありました。

 

 

 

立ちはだかる言葉の壁。

カンボジアでの生活では、水泳の環境はすごく整っているもの僕自身の言語力(言葉の壁)が大きくのしかかりました。
実際、カンボジアで使用されている言語(クメール語)は、青年海外協力隊が海外に派遣される前に日本で行われる派遣前訓練にて学習・ある程度の習得が必要とされている言語。

 

 

 

YOSHI@
任国変更という決断の元、カンボジアへ移動してきた僕は言語訓練などを受ける時間がなく全く、カンボジアの言葉がわからないままの赴任。赴任当初は活動どころか、通常の生活(買い物や簡単なコミュニケーション)をすることもままならない状況でした。

 

 

 

言葉が通じない歯がゆさ・不安などをすごく感じますが、エチオピアを離れる時点で覚悟していたことであり「何があっても最後までカンボジアで協力隊をやりきる」と決意を決め、毎日少しずつカンボジア人と関わりながら言葉を理解できるように努力をしていく日々。

 

 

▽カンボジアでの活動は以下の記事をご覧ください。▲

 

 

カンボジアで生活・活動を行った約10か月間の日々は、最後まで言語の壁を払拭することは正直できませんでした。しかし、カンボジアに移動し言葉の壁を感じながらの生活のなかで、たくさんの方に支えられながら毎日を「生きている感覚」を感じながら生活することが出来ました。

 

 

言葉が100%通じない中でも、彼らと真剣に関わりながら笑い合った日々はたった10か月間でありましたが、たくさんの支え・助けをもらうことで最後までできたと感じています。そして10カ月の日々は2年ほど一緒にいたのではないのか?と錯覚するほど濃い時間となりました。

 

 

YOSHI@
もっと彼らと関わって水泳を教えることが出来たら…と考えることもありましたが、限られた時間の中で自分ができることすべてを彼らに出来たと思っています。

 

 

 

2:2年間の青年海外協力隊で感じたこと。

エチオピアからカンボジアへ。青年海外協力隊として歩き出した時には「まったく想像していなかった結末」となってしまった僕の協力隊としての2年間。

正直、エチオピアでは「活動面の問題」で苦しみ、カンボジアでは「言語面の問題」で沢山苦しみ、悩みました。しかし、どちらの国での生活もすごく刺激にあふれ、自分自身を大きく成長させてくれた経験に違いありません。

 

 

YOSHI@
悩んだことが大半でしたが、それぞれの国でそれぞれのかけがえのない出会いにも恵まれ、たくさんの方に支えてもらた2年間でもありました。

 

 

 

エチオピアでもカンボジアでも、目立った成果を残すことは出来ませんでした。ただ、それぞれの国で自分ができることは全力でやったなと自信を持って言えます。それぞれのストーリーのある協力隊の中でも珍しい、2年間で2か国の経験が出来たことは結果的に「すごく贅沢な経験」だったと協力隊を終えた今、感じています。

 

 

 

YOSHI@
僕は世界で1番幸せな(贅沢な)隊員だと思っています。

 

 

 

思うような活動が出来なくてネガティブになったり、言葉の壁に苦悩した日々もありましたが、2つの国の文化・言語・景色などを感じることが出来、たくさんの現地の方と関わりながら生活できたことなど、結果的には「これが僕らしい協力隊の結果であり満足」です。

 

 

 

青年海外協力隊での活動は、キラキラ輝く部分ばかりではなく、苦しんだり悩んだりすることも必ずあります。時には逃げ出したくなる状況に陥ることだってあります。しかし、「自分ができること」を1ずつ探し出すことで道が開けることは自分自身の経験から強く感じています。
これから協力隊として海外へ飛び立つ方も、自分なりのオリジナルストーリーがきっとあります。どんな物語になるかは誰もわかりませんが、物語の最後に「協力隊を目指してよかった」と思える結末を迎えられることを願っています!

 

 

 

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それでは
YOSHI@

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