[大きな決断] 任国変更を決意 -I dicided a big decision-

青年海外協力隊の話

こんにちは。YOSHI@です!

今回は、少し真面目なテーマをお話していこうかな。と思います。

テーマはズバリ”任国変更を決意”したお話です。

 

過去のブログを読んでくださっている方なら、なんとなく分かると思うのですが(何度か記事内で軽く紹介しています)、僕は元々、東アフリカにあるエチオピアという国に最初派遣されていました。しかし、派遣されたものの色々な事がタイミング悪く重なってしまい。当初予定されていた活動が全くできなくなってしまいました。その結果、JICAのボランティアでは結構珍しく国を変更して新しい場所で活動を頑張っていくという選択肢を頂き、現在東南アジアにありますカンボジアにて活動を行っています。

 

文章に起こしてみると、「単に国を変えただけじゃん」と思う方もいらっしゃると思いますが、エチオピアに赴任し、カンボジアで新たな活動を始めるまでに自分的には沢山考え・悩み決断した出来事でしたので、今回は自分自身その時の事を忘れないようにするためにも記事にさせて頂きたいな。と思い今回お話させて頂きます。

 

1:協力隊なのに活動が出来ない

夢や目標・希望などをもって、参加した協力隊。でも実際、派遣国に行ってみると、当初予定されていた活動先には、治安の状況が悪くなり行けなくなる。(安全が一番なので、仕方がない事でした)

<エチオピアへ出発時>

 

そして、新しく決まった活動先、行ってみるとプール自体はあるが、水が入っていない。(活動先からは、早急に修理し使えるようにすると言われる)その為、車で数十分先のホテルにあるプールを利用させてもらう。

・ホテルまでの交通手段の確保

・プール使用料の問題

などから、週1.2回練習出来れば凄く出来た方で、最悪な場合1か月に1度も練習が無い状態の時もありました。

JICAのスタッフさんと共に、配属先へ訪問し少しでも活動が出来るようにと何度も話し合いを持ったが、「分かった」と言ってはくれるものの、結局は何も動いてくれず・・・(途上国あるあるだと思います)

 

配属先に頼み続けても”変わってくれる事は無い”と感じた僕は、水泳連盟や教育省(スポーツを管理している施設)にも訪問し、「どうにか活動ができないか?」というのを相談をさせて頂きましたが・・・

当時、水泳連盟は連盟自体が機能していなく話すらできず、教育省の方は聞いてはくれましたが、結果としては配属先と同じ、聞くだけで動いてはくれない。

プールを一から作る事や、水が豊富に使えるようにするという事は、1人のボランティアとしてやる活動としては無理がありました。なので、僕がスムーズに活動を行えるようになるためには、エチオピア人の協力が必要不可欠でした。

 

正直、”何のためにここに来たんだろう?”何度も考えました。

時間がある時には、他の協力隊員が活動している場所に行き、見学や活動のお手伝いをさせて頂いていました。凄く色々な経験もさせていただき、楽しい時間ではあったのですが、やっぱり心のどこかで「ここは自分の場所ではない」とか「いいな。活動が出来て」と感じていました。

 

そんな中、始める事にした「普及活動」

※普及活動についての詳しい内容は上の記事をご参考下さい。

子供達と関わり、プールを使う事が出来ず、知識としてだけど水泳を普及させることで、どうにか自分自身の活動を組み立てていました。が、本当にこれでいいのか?とモヤモヤした気持ちは払拭できませんでした。

<普及活動の様子>

 

2:”もういいかも…”と思った大きな出来事

 人生で一番しんどかった10日間

その当時、予定通りの活動はできず自分なりに考えてやる活動しかなかった僕に一つの話が舞い込んできました。

「水泳のプロジェクトが始まるからコーチとして力を貸してくれ」という内容。

 

そのプロジェクトは、僕がエチオピアに赴任してからずっと機能していなかった水泳連盟が少しずつ活動を再開するにあたり企画したプロジェクトでした。

そして、僕のカウンターパート(同僚)と水泳連盟会長が直々にその話を僕のところまでしに来てくれました。参加しない理由なんてない僕は参加することに・・・

首都から少し離れたある場所にて開始されたこのプロジェクトだったのですが、行ってみると参加している選手は4人(当初の話では参加者は20~30人と聞いていた)しかも、選手の内3人は水泳連盟の会長の子供、もう一人は僕の同僚の息子という身内だけしか参加させていない状況でした。

 

でも、参加者が身内しかいなくても頑張ってくれるならそれでいいや!と思い、指導を行おうとしたのですが、当の子供達は練習はしたくなくて、頑張る事も無く ”いつになったら終わるの?”と終わる事だけを気にするばかり。つまり親のエゴで無理やりやらされていた状況でした。その様子を見ていると本当に子供達がかわいそうで、僕は彼らが水泳を嫌いになってしまう事の手伝いをしているような気がしてしまって、本当につらかったです。

 

そして極めつけが、子供達の父親(水泳連盟会長)が一般のお客さんと話している時の一言で、僕は全てを悟りました。

「無料で、自分の子供達を教えてくれて凄くラッキーだ」と、現地語アムハラ語での会話だったので100%あってるわけでは無いと思いますが、でも確実に当初話をしていた、「いろんな子に水泳を広めよう」とすることは彼は最初から考えて無く、自分の息子や娘たちだけ水泳が出来ればそれでいい。と考えていることがその会話を聞いて(連盟の会長は僕が理解できないと思っていて、べらべらと話を僕の横でし続けていました)僕は理解できました。

そして、何より僕のカウンターパート(同僚)も彼(連盟会長)とグルになっていたことに(上下関係で断れなかったのかもしれないですが)僕はショックでした。

当初、このプロジェクトは数年かけて行う予定があり、僕も任期中はお手伝いをするという話をしていました。そして一度目は様子も見ながらという事でまずは10日間参加するという事で、お互い合意していたので、約束通り10日間は水泳を教えました。この、やればやるほど誰の得にもならない(子供達と僕自身)活動は僕の中で本当にしんどい10日間でした。

 

その約束の10日間が終わった後、僕は彼らに再び会う事はありませんでした。そして、会う必要もないと感じていました。

ただ、少しでも状況を理解して欲しくて、メッセージを同僚には送りました。

その内容は・・・

「今のままでは、エチオピアの水泳が発展することは無いでしょう。もし、エチオピアの為にと少しでも頑張りたいと考えているのであれば、自分の為じゃなく、選手や子供達の為に頑張ってあげてください。私はあなたがいつかそうなる事を願っています」

その後、彼がどうなったかは分かりませんが、いつか彼がエチオピアの水泳の為に力を発揮してくれる日が来ることを願います。

<一度だけしか撮れなかった集合写真>

 

 一人のコーチの話

そんな出来事があった後、一人の協力隊のボランティアからの連絡で彼の配属先で「水泳の合宿が始まった」という内容でした。

それを聞いた僕は、さっそく彼の配属先(バスで8時間)かけて見学に行く事に。

南の地域だったのですが、噂通り水泳をやっている姿がありました。この選手達はエチオピアの民族から集められた子たちで、南の各民族から集められ普段は裸族であったり、民族衣装などを着て生活しているような選手達でした。話を詳しく聞いてみると、数か月後に大きな大会がある為(結局僕がエチオピアに居る間に行われることはありませんでした)プールで練習をするという内容でした。その練習には僕に情報を教えてくれて隊員さんがすでにお手伝いをしていました(彼も水泳経験者でした)

僕も数日見学させてもらったところ、選手達は凄く頑張っていて久しぶりに僕がイメージしている水泳の姿を見れた時間でした。(ここに拠点を移動しようかと考えていました)

ただ、僕はそこで指導している一人の現地人コーチの話を聞いたことによりその考えが小さくなりました。

彼は凄く指導に熱心で、頑張っている姿を見てはいたのですが、一言僕に

 

「君の持つ知識や技術を僕らだけ(南の地域の選手達だけ)に使って欲しい」と…

 

僕はこの一言に凄く違和感を感じました。”エチオピアの為”では無くて”僕らだけ” 自分達だけ良ければいい。という感じなんだなと僕はその言葉を聞いて感じました。僕は沢山の人に水泳を知って貰いたいし、好きになってもらう手助けをする為ここに来たはずなのに、それは今この国でやっていく事は難しいんだな。と感じた瞬間でした。

凄く、懸命なアプローチ受けたのですが、自分の気持ちに正直になりたかったので、移動することをお断りしました。

 

2つの出来ごとがほぼ同じタイミングでやってきて、僕の中で「エチオピアで僕がサポート出来る事は無いのかも」と考えるようになりました。

 

3:大きな決断を迫られた瞬間

色々起こった出来事をJICAの方に相談したところ、ここまで(この時点で約1年過ぎていました)やってみて上手く行かない。となると”正直難しい”との回答。JICAのスタッフさんと何度も話をし、一緒に考えて出た答えが、

 

「水泳」にこだわるかどうかという答えに辿り着きました。

 

もし、「水泳」にこだわらないのであれば、例えば学校を新たな活動先にし、子供達に体育を教えたりすることが可能である。

ただ、「水泳」にこだわりたいのなら、今のエチオピアには場所が無い(つまり国を変える)。

 

悩んだ末、僕が出した答えが「水泳」にこだわるという結論でした。

 

その理由はシンプルで、協力隊に参加した理由が「水泳で何か人助けがしたくて応募した」からでした。だから、その気持ちを曲げたくなくてJICAのスタッフさんには凄く迷惑もおかけしたのですが、今チャンスを逃すと絶対後悔すると思ったので、一大決心でエチオピアを離れる事を決意しました。

 

4:任国を移動するときに考えたこと

 逃げたと思われるんじゃないか

エチオピアを離れる決意をして、考えたことは「活動が無くて逃げた」と思われるんじゃないかという事でした。ただ、実際はそんなことは無くて話をしたすべての方(日本人)に「良く決断したね」「頑張って」と言ってもらえました。それは本当に嬉しくて、心機一転頑張ろうと感じました。そして、エチオピアで関わったすべての人たちが本当に優しくて沢山助けて貰っていたので、別れるのは寂しいなという気持ちになりました。

 

 エチオピアは嫌いじゃない

色々な事はありましたが、正直エチオピアを嫌いになったわけでは無かったので、もっとこの国でこの国の事を知りたかった。という気持ちが凄くありました。

エチオピア人は基本めんどくさかったりもしますが、凄く優しい一面もあったりします。そしてエチオピアという国程、変わっていて面白い国なんて無いんじゃないかな。と思うぐらい毎日驚くようなことの繰り返しだったので、そんな毎日と離れるのは寂しい気持ちでした。

 次の国でやっていけるのか?

移動を決意しすぐに、カンボジアへの派遣が決まり僕が感じた事「言語大丈夫かな?」という事だけでした。

カンボジアではクメール語という言語を使って生活をします。そして、通常カンボジアに派遣される隊員さんは日本での研修でみっちりカンボジアの言葉を勉強してから派遣されるのですが、僕はその勉強する時間が無いため、カンボジアにいって自力で習得するしかない。という状況でした。(実際は1か月現地で研修を受けましたが、1か月では大きな習得はできず)

結果からすると「どうにかなってます」ただ、最初3か月ぐらいは相手が何を言ってるのかも全然聞き取れないし、自分の気持ちも話せないし、物一つ買うにも凄く時間を使ったり、本当にやるせない気持ちでいっぱいでした(今でも流暢ではもちろん無く、苦労していますが)

でも、どうにかなってます。これは、僕が移動をしてみて一番感じたことです。

 

5:任国変更をしてみて

エチオピアから離れる時、この決断はどうなるか分からない。という不安も凄くありました。もしかしたら、「エチオピアを離れたことを後悔するんじゃないかな」とか。ただ、カンボジアでの新たな生活が始まり半年以上が経ち感じていること。

 

「あの大きな決断に後悔はない」という事です。

 

言語も出来ない、新しい生活・人間関係・文化などすべての事が変わってしまった。カンボジアでの生活ではありますが、沢山の人と出会い、助けてもらいながら今生活出来ています。

<指導している選手達>

<プノンペンにいる選手達>

<協力隊の隊員さん達>

 

そして何より、凄く悩むことは沢山ありますが、「水泳を指導出来ている」という事がほんとに有難くて、エチオピア時代よりも何倍も忙しいですが、忙しく出来ていることに感謝しています。

 

あっという間に、残り3か月を切ってしまい出来る事も少しづつ限られてきてしまいますが、最後まで、カンボジアで水泳を頑張る人のために頑張っていけたらな。と感じています。

 

協力隊に参加してからの時間には、色々ありましたが現時点での結論からして、2年という期間の中でアフリカもアジアも経験出来て、活動が無いと活動が沢山という事も経験出来て、凄く贅沢な時間を頂いたなと思っています。

 

それは沢山の方に支えて貰ったおかげだと思います。この場を借りて感謝を伝えたいと思います。

「ありがとうございます」

 

今回は、僕の中で一大決心であった「任国変更の決断」についてお話させて頂きました。この投稿を読んで、少しでも悩みなどを抱えた方の参考なり力になれれば幸いです。

 

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

それではまた。

YOSHI@

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント