青年海外協力隊の水泳隊員の活動について気になる方はいませんか?
発展途上国と呼ばれる国で2年間ボランティア活動を行い、その国の発展の支援を目的とする青年海外協力隊(JICAボランティア)。日本政府が行っている活動(ODA)ということで、一度は耳にしたことがあるという方も多いボランティアの一つかと思います。
多くの支援の仕方がある協力隊。そのなかでもスポーツ支援の1つである「水泳」という分野も存在し筆者自身「水泳分野」で協力隊に参加しました。しかし「水泳」という名前だけでは「どんな活動を行っているの?」と疑問に思われる方も多いかもしれません。
そこで今回は「協力隊水泳隊員の活動」をテーマで、協力隊の水泳隊員の活動の内容などについてご紹介します!
補足
筆者自身、協力隊としてエチオピアとカンボジアの2か国で活動を行っておりましたが、今回はカンボジアでの活動の内容をご紹介します。エチオピアでの活動に関しては別記事にてお話させていただきます。
\エチオピアでの水泳活動についてはコチラの記事をご覧ください/
”協力隊の水泳隊員”に興味がある方にとって有益な情報になること間違いなしですので、ぜひ最後まで読んでいただければと思います。
✔ 本記事の信頼性
本記事を書いている僕はブログ暦5年。青年海外協力隊への参加をきっかけにブログを始め、現在では約300記事ほど作成しました。僕の経験が誰かのお役に立つことを目標にこのブログを運営しています。
Contents
カンボジア水泳隊員の活動とは?
青年海外協力隊、カンボジア水泳隊員の活動の内容について詳しくご紹介していきます。
活動場所はカンボジアの地方(コンポンチャム)
活動の拠点はコンポンチャム州と呼ばれる地方の場所
筆者がカンボジアで水泳隊員として活動していた場所は、カンボジアの首都プノンペンからおよそ100kmほど離れた場所にあるコンポンチャム州と呼ばれる小さな町でした。
\コンポンチャム州の地図はコチラ/
活動を行っていた施設は「TECHO SEN SWIMMING CENTER」と呼ばれる屋外プール。2013年頃に完成された競技用のプールで、メインプール・サブプールに加え、飛び込み用のプールなども完備されているプールでカンボジアでの国内大会の会場にもなる場所です。
\TECHO SEN SWIMMING CENTER/
\地図はコチラ/
水泳の指導者の少ないカンボジア
実は青年海外協力隊の初代に水泳隊員が存在していた
青年海外協力隊は1966年に隊員の派遣が始まったのですが、実はその初代隊員のにカンボジアの水泳隊員(中村昌彦さん)の存在があり、カンボジアと協力隊の水泳活動を古くから繋がりがあります。しかし初代の隊員以降、カンボジアへの水泳隊員の派遣は行われていませんでしたが2015年に水泳隊員(生山 咲さん)の派遣が久しぶりに行われました。
2代目となる水泳隊員の方は首都プノンペンを拠点に活動を行っており、少しずつカンボジアの首都では水泳活動が活発になり始めた一方、大規模な予算を使い建設されたコンポンチャム州のTECHO SEN SWIMMING CENTERでしたが、現地で選手たちの育成ができる指導者不足が問題となっており、新たな協力隊員の派遣がカンボジアサイドから懇願されていた状況がありました。(2017年当時)
\さらに詳しい派遣の経緯はコチラの記事をご覧ください/
活動は施設で働く大人と、子供たち約20名と行っていました
コーチも選手も層の薄いコンポンチャムの水泳事情
筆者が活動を行っていたコンポンチャムの水泳事情ですが、まず人(コーチ・選手両方)の層の薄さが大きな問題でした。特にコーチに関しては年齢がすごく高く、次世代に繋ぐことがすごく難しい状況がありました。
<共に活動を行う大人>
1:この施設の管理者の男性(70代)
2:一緒に練習を見てくれる男性コーチ(80代)
3:アシスタントコーチ女性コーチ(40代後半)
<水泳を指導する対象者>
1:現地で練習する水泳選手 男子6名 女子4名 計10名(中高生がメイン)
2:水泳を1から始める子供たち 男子6名 女子3名 計9名
その他、施設のスタッフさん(清掃係、受付係の方など)などの存在もあり、約20名程度の現地人の方と活動を行っていました。
\活動を一緒に行っていたコーチ・子供たち/
主な活動の目的は「競技力向上」と「指導者のサポート」
カンボジア水泳連盟からの要望は「競技力向上」と「指導者のサポート」
筆者がカンボジア、コンポンチャム州への派遣されるにあたり、カンボジアの水泳連盟から「選手の競技力向上」と「現地人コーチのサポート」を要望されました。
選手の競技力向上に関して
コンポンチャムの選手たちは、これまでちゃんと水泳指導を受けたことない子が多く自己流で泳いでいる選手も少なくありませんでした。そのため選手たちには【基礎的な水泳技術・知識の定着を図る】ことと、【技術力向上を図るモチベーションを高める】ことが大きな課題となりました。
現地人コーチのサポートに関して
コンポンチャムで水泳指導を行っているメインのコーチが御年80歳越えの超高齢ということで、水泳に対する熱意や日本人に対する理解なども持ち、80歳にしてはすごく元気な方ではありますができることの限界がありました。
一応、アシスタントでコーチをしている女性の存在もありましたが【水泳の経験がほとんどなく、また指導に対する熱意も低い】という問題があり、現地人コーチのサポートを上手く行うことが活動のメインテーマとなりました。
悩みが尽きないカンボジアの水泳隊員
カンボジアでの活動中悩みの尽きない日はありませんでした。
筆者がカンボジアでの活動が始まり終わるまでの約1年間、「悩みが尽きない日はない」と言っても過言ではない程、水泳を指導するうえでの問題が多くありました。日本とカンボジアの文化の違いや言語の違いなどから問題解決に繋がらないことも多く、歯がゆいことも少なくありませんでした。
言語面の問題は「最後まで最難関」
活動を行っていた期間の中で最後まで大変だったものは「言語面の問題」でした。
カンボジアではクメール語と呼ばれる言語が使用されているため、活動及び生活は基本的にクメール語を話します。またカンボジアでは英語を話せる方が少ない(筆者の活動拠点のコンポンチャムではほぼ英語が話せる人はほぼいない)状況がありました。そのため、まずは筆者自身の言語力の向上が必要となりました。
協力隊としては異例の状況でカンボジアに赴任が決定した筆者。カンボジアに派遣当時クメール語に関する知識が一切なく、日常生活で使う言葉さえ知らない状況。その中で水泳選手たちと深いコミュニケーションを図りながら水泳を指導するのは不可能に近いとも言えました。
結果的にはボディランゲージや、拙いクメール語を駆使しながら少しづつ語学力を高めていくことで、少しは伝えたいこと伝えることが出来たり、選手が伝えたいことを理解したりすることができましたが、「100%言葉を理解できるレベル」には達することはできませんでした。
現地人コーチや選手との意識の違いは常に大きかった
言語問題と同じぐらいに悩んだのが「意識の違い」でした。
国が違えば言語も状況も違うことは覚悟していましたが、日本での水泳の常識とカンボジアでの状況が大きく違いすぎて驚いたことはもちろん、そこの改革が競技力向上のカギになることが確かだったので、意識の違いを少しでも埋めていこうと努力が必要となりました。
発展途上国ではあるあるかもしれませんが、「時間に平気で遅刻してきたり」「練習に来ない」ということが頻繁に発生。活動期間中、何度も選手・コーチたちに1時間以上待たされたり(遅刻が理由)、練習に現れず練習ができないという状況がありました。そのたびに1人寂しくプールサイドで彼らを待っていました。
最低でも「その部分は改善をさせたい」と思い、時間の遅刻や、練習に連絡なしで休むことに対して厳しく指導を選手たちには行いました。結果として少しは改善されたものの、最後までこの問題がなくなることはありませんでした。
基本的に「がんばる・努力する」ということが好きではないカンボジア人。スポーツをする上で絶対不可欠な”がんばる”ということができず「手を抜いて練習をする」ことがスタンダートでした。
彼ら的には努力をしているらしいのですが、筆者からすると「歯がゆい」と感じることが多く、それがストレスにも感じていました。
この問題に関しては簡単には変わることがないと理解をしつつ「努力することの大切さ」や「全力を尽くして練習・試合に臨む」を目標にがんばろうと選手たちに伝え続けました。多少は自身の力を出すことや、がんばるということはやるようになりましたが、筆者の活動期間中に筆者の目指していたレベルまで引き上げることはできませんでした。
「水泳隊員として」「1人の人間として」彼らに出来る事
カンボジアで水泳隊員として過ごした約1年間の期間「少しでもカンボジアの水泳の状況が発展してくれたら」と考えながら、過ごした日々でした。
元々活動行っていた国から事情によりカンボジアに移動したということもあり、通常の隊員さんよりも時間的にも語学などの面でも足りない状況からスタートさせる必要があり、戸惑いも不安も悔しさなどの経験も多い1年間だったと言えます。
しかし、カンボジアへの赴任を決めたのは自分自身なので「最後まで絶対に投げ出さない」と覚悟を決め、拙い言語などを含め自分ができることで、現地人のコーチや選手たちに自分の思いを伝え続けました。正直その思いが彼らにどこまで届いたのかわかりませんが、少しでも彼らの心に届いてくれていたら嬉しいなと感じています。
成功体験よりも、悩める体験の方が多いカンボジアでの活動期間でしたが、筆者としては「彼らに出会えてよかった」そして「彼らに水泳を指導することが出来てよかった」と感じています。言語・文化多くのことが違いましたが、「水泳の指導者」として「1人の人間として」彼らと関われたということは、筆者自身のいい経験となりました。
僕自身、協力隊として2年間の活動を通して得た経験はすごく多く、それをどう日本(今の生活)に還元していけるのか?という事が大きな課題となっています。しかし、今すぐにできることもあれば時間が必要になる還元の仕方もあります。形や方法はどうあれ、必ず協力隊で得た経験を日本に還元できるように頑張りたいと思います。
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YOSHI@