
こんにちは。YOSHI@です!Follow @yoshiswim05
この記事は「青年海外協力隊に興味のある方」や「任国変更について知りたい方」にぜひ読んでもらいたい記事となっています。
今回は”青年海外協力隊の話”という事で「任国変更について」お話をさせて頂きます。
【僕の情報】
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協力隊としてレアケース”任国変更”の経験をお話します。
任国変更とは:
青年海外協力隊に参加する際に任国と呼ばれる派遣される国での活動に支障をきたす状況(治安悪化・体調などの問題)が発生した場合に、JICA事務所の判断を踏まえ国を移動できる処置
この記事では
- 任国変更を僕が行う事になるまでの経緯
- 任国変更を行うまでに行った行動
- 任国変更をするにあたり不安・心配になったこと
以上のことなどについて詳しくお話していきたいと思います。
1:任国変更になるまでの経緯
夢と希望をもち青年海外協力隊として東アフリカの国エチオピアへ旅立った僕。しかし、その当時エチオピアの状況として多くの問題がありました。
・エチオピア国内の治安状況の悪化
僕が青年海外協力隊としてエチオピアに赴任した際(2016年):
反政府運動が活発化し多くの場所で死者も発生するような大規模なデモが行われており、エチオピア政府としても非常事態宣言がを宣言するほど治安の状況が悪化していました。
・新しい活動先での大きな問題
エチオピア国内での治安悪化が懸念されている中での赴任。首都アディスアベバで新しい活動先が決定し水泳隊員としての活動を開始することになるのですが...
- 施設内に併設されている水泳用プールは故障し、水が無い状態
活動先からは「早急に使えるようにする」と伝えられたものの最後まで修理されることはありませんでした。 - 活動先から離れたホテルの水泳用プールで代用するも、移動手段の確保・プール使用量の問題から練習頻度がほとんど確保が出来ない
車で30分ほどかかる場所にプールがあったため、選手をプールまで運ぶ移動手段(車など)の確保が出来ず練習が中止になる事や、プール利用料を活動先が支払う事が出来ず練習日数がカットされる事態などが頻発し、月1,2回程度しか練習が行えないことがほとんどでした。(1カ月で練習が1度も無い月もありました。)
以上の様な問題が赴任当初から発生。
このような状況の改善を図るため、JICAのスタッフさんと共に何度も活動先に訪問し管理者の方などと話し合いを重ねましたが、「分かった」と言ってはくれるものの結局、活動先が動いてくれることはありませんでした。(途上国あるあるだと思います)
2:現状を打破するために行ったこと
エチオピア赴任当初から問題ばかりが発生し、JICAスタッフと共に活動先へ訪問し話し合いを重ねても一向に改善する兆候が見られないことから「これから先、活動先と話し合いを重ねても何も変わらない」と感じた僕は自分の活動先での活動にフォーカスすることを止め、「活動先以外での施設で水泳隊員としての活動をサポートしてくれそうな場所」を探すことに
・教育省や水泳連盟への訪問
教育省への訪問:
エチオピア国内のスポーツに関するものは教育省が管轄しているという事で、JICAスタッフと現状を改善させる方法は無いか?と訪問を行うものの「サポートはする」というだけで実際に動いてはもらえず...
水泳連盟への訪問:
2016年当時、リオオリンピックの際に発生した問題からエチオピアの水泳連盟は無期限の活動を自粛が発表されており、直接水泳連盟に足を運びましたがオフィスには誰一人おらず、話すら出来ない状況でした。
・違う地域への連絡・訪問
首都アディスアベバ内で、新たな場所・活動を発見することに限界を感じた僕はアディスアベバ以外の場所にまで視野を広げ、活動できる場所を探すことにしました。
補足①:当時治安の影響から、JICAの規定によりエチオピア内で移動できる場所は数か所しかなくその少ない選択肢の中から活動先探しを開始しました。
補足②:JICAの方の協力を得て新しい場所を探すのが通常ですが、それだと書類の作成やスタッフとの予定を合わせることなど倍に時間が掛かると判断し、自分自身(お金も自費)で行いました。
エチオピア南部の地域:
エチオピア内でも比較的水源が豊富な南部地域。水泳プールはがありそなホテルを訪ねては「プールはあるか?」「水泳をやっている人はいるか?」と街を回るものの。プールがあったとしても水泳をスポーツとしてやっている人は一人もいないなど、2年という限られた時間で何かを行う事は難しそうな状況でした。
エチオピア北部の地域:
エチオピア内でも水源の確保が困難とされる北部のスポーツ関連のオフィスに連絡を一応取ってみるが「生活をする水源の確保も大変なのに水泳なんて出来るか」と一刀両断され断念。

青年海外協力隊として移動が承認されている地域全土に視野を広げて、活動が出来る場所を探しましたが思うような場所・機会を見つけることはできませんでした。
・水泳を普及する活動
水泳を指導するためにエチオピアに赴任したはずなのに、いつの間にか「水泳の活動が出来る場所を探すことに奮闘」していた僕。
多くの隊員さんからのアドバイスや、活動内容関係なく色々な隊員さんが活動する場所へ足を運ぶなかで「自分自身もエチオピアで水泳を通して何かを伝える活動がしたい」と改めて感じたことから始めることにした普及活動。
<普及活動の様子>
「水泳を絵本で伝える」を目的として普及活動を行い、沢山の子供達と関わりながら楽しく活動を行う事が出来ました。しかし水泳というものの存在を子供たちに伝えることはできても、実際にプールで指導を行ったりすることは出来ず、「知識としてだけ普及」という部分にもやもやとした気持ちを抱いていたことも確かです。

「水泳の在り方」についてこんなにも人生で考えたことが無かったため、凄く悩み苦んだ時間でした。しかし当時、泥臭くても「子供達に水泳の普及活動」が出来たことは僕の一生の思い出になっています。
3:エチオピアを離れようと決心した出来事
正規の活動は軌道に乗らずとも、普及活動が軌道に乗り始めそうになったタイミングで多くの事が動き始めました。そしてこのタイミングで「エチオピアを離れようと決心する出来事」も起こったため、ご紹介させて頂きます。
・人生で一番辛かった10日間
無期限で活動を休止していた水泳連盟が、活動を再開するにあたり「長期にわたる水泳の競技力の向上を目指したプロジェクト」を行いたいとのことで、水泳連盟会長から直々に僕とJICA事務所の方に訪問が行われプロジェクトに関する説明、そして僕をコーチとしてプロジェクトに参加して欲しいとお願いをされる。
当時、普及活動を行っていたとは言え、正規の活動ではなかったため断る理由は一切なくプロジェクトの参加を引き受けることにしました。
【事前に聞かされていたプロジェクトの内容】
- 首都アディスアベバから2時間ほど離れた町での水泳プロジェクト
- 小学生程度の年齢の子供20~30人を対象に長期で水泳の指導を行う
- 状況確認の為、10日間最初に活動を行い今後を正式に決定していく
以上の内容が聞かされたプロジェクト内容でした。

完全にうまい話に騙されたと感じましたが、「子供たちが水泳を頑張ってくれればそれでいい」という思いで指導を始めますが、子供たちは水泳の練習をしたい気持ちは全く無く、完全に親のエゴで水泳をさせられているような状態でした。
練習が始まるや否や「いつ終わるのか?」という事ばかりを気にする子供たちに対して水泳を指導する僕。「水泳を好きになってもらう活動」をするためにここにいるはずなのに、「彼らが水泳を嫌いになってしまう手伝い」をしているような気がして、本当につらかったです。
そして極めつけが、子供達の父親(水泳連盟会長)が一般のお客さんに僕について話している会話。

無料で、自分の子供達を教えてくれて凄くラッキーだ
現地語(アムハラ語)での会話であったため100%聞き取れたわけではありませんが、その会話から水泳連盟会長に「最初から水泳を沢山の子供に広めるつもりはなかった」という事が理解できました。(連盟の会長は僕が現地語を理解できないと思い、僕の横でもベラベラと会話を続けていました。
※何より僕のカウンターパート(同僚)も彼(連盟会長)とグルになっていたことに(上下関係で断れなかったのかもしれないですが)僕はショックでした。
「こんな活動なら無い方がマシだ」とも感じてしまう程、精神的にも辛かったです。そしてこの活動を通し彼らの手助けをする必要はないし、そのままこの活動を続けたら自分自身がダメになると感じたため、プロジェクトが開始される前に約束をしていた10日間の終了後、僕は再び彼らに会う事はありませんでした。
最終的に連盟の会長とグルになっていた僕の同僚(カウンターパート)も同様このプロジェクト終了以後合う事はありませんでしたが、同僚として少しでも現在のエチオピアの水泳状況を理解して欲しくメッセージを送信しました。
メッセージの内容:
このメッセージを送信後、彼とは一切の連絡を取っていないため、どうなったのかはわかりませんが、いつか彼がこのメッセージの意味を理解してくれてエチオピアの水泳の為に力を発揮してくれる日が来ることを願っています。
<一度だけしか撮れなかった集合写真>
・ 一人のコーチの話
人生で1番辛いといってもいいほど辛かった水泳連盟主催のプロジェクト終了後、エチオピアの南部地域で水泳の練習がされているという情報を聞き、実施に練習風景を見学するために南部の地域へ行くことに。
水泳の練習が始まった理由として:
【数か月後にエチオピアの全国大会が行われる予定である】と【その大会に南部地域として結果を残したい】という理由から練習が行われていました。(結局、僕がエチオピで生活中に大会が行われることはありませんでした)
数日間練習を見学させてもらいましたが、選手たちもコーチも凄く頑張ろうという姿勢を感じることが出来たし、僕がイメージしていた水泳の風景がそこにあり久しぶりに楽しい水泳に触れられた時間でもありました。
「ここに移動して水泳の指導をしたら楽しそうだな」と感じていた僕。しかしコーチが僕に言った何気ない言葉でその考えが変わることになりました。彼は凄く指導に熱心で水泳指導をしっかり頑張っていましたが...
「君の持つ知識や技術を僕らだけ(南の地域の選手達だけ)に使って欲しい」
「エチオピアのためでは無くて僕らだけ」 という言葉に凄く違和感や失望感の様な気持ちも感じました。どういうつもりで僕に言ったのか?は分かりませんが「自分たちだけ良ければそれでいい」という風に僕は捉えました。
「沢山の人に水泳を知って貰いたいし、好きになってもらう手助けをする為ここに来た」はずなのにそれを行う事は難しい事なんだな。と強く感じました。
選手もコーチにも「ここで水泳を指導してくれ」とアプローチを受けましたが、「自分の気持ちに正直になりたい」と感じたことからそのアプローチをお断りさせて頂きました。
ほぼ同じタイミングで、「僕が水泳を通してどうしたいのか?」や「僕が目指す水泳の在り方」について考える機会があり、思いを巡らせ出た答えは「自分がエチオピアに出来ることは無い」となりました。
4:大きな決断を迫られた瞬間
「エチオピアで出来ることはもうない」と判断した僕は、JICA事務所へ行きスタッフの方にその思いを伝えることに。この時点ですでに協力隊の生活が1年経過している時でもあったため、大きな変化をするならこのタイミングがラストチャンスなタイミングでもありました。
正直、ここまでの1年僕の努力だけではどうしようもない問題ばかりが発生していた中で「僕なりに出来ること」を一生懸命行っていました。その行動をJICAのスタッフの方もしっかりと見ていてくれたこともあり...
- 水泳という活動を諦めてエチオピアで違う活動を行うか?
例え:学校などの施設を新たな活動場所にし、子供達に水泳ではなく体育などを指導したりする。 - 水泳にこだわり活動を行う
現在のエチオピアに水泳にこだわって活動を行える場所は無い=国を移動する
以上の2択を迫られることになりました。
理由として:
凄くシンプルではありますが、「水泳を通して人助けがしたくて協力隊に応募した」から。そのため状況がどうあれその気持ちを曲げたくないなと感じました。
究極の選択でもあり、一大決心でもありましたが「やらない後悔をするよりはマシだ」という思いもあり、エチオピアを離れ違う国での新たな活動を行う事を決めました。
5:任国変更をするにあたり考えたこと
「エチオピアから離れる」という事を決意した僕でしたが、その決断後に感じる心配などもありましたので、以下に紹介させて不安がもちろんありました。そんな当時僕が思った事をお話していきたいと思います。
・逃げたと思われるんじゃないか
エチオピアを離れる決意をして考えたことは「活動が無くて逃げた」と周り方に思われるのでは?という事でした。
人によって考え方がある為「そう思われても仕方がない」と思っていましたが、実際エチオピアを離れることに対して全ての方から「よかったね。頑張ってね」という言葉をかけて貰え、凄く嬉しく新たな場所で頑張ろうと感じることが出来ました。
・エチオピアは嫌いじゃない
エチオピアを離れる決断をしましたが、「エチオピアの事をもっと知りたかった」と感じていたことも事実です。
エチオピアでの生活は不便であったり辛いと思う事もありましたが、日本では絶対に経験できないであろうことも頻繁に起こり、常に新鮮で面白い日々でした。そんなエチオピアの事をもっと知りたかったという思いは強くあったため、エチオピアと離れるのは凄く寂しい気持ちでした。
・次の国でやっていけるのか?
エチオピアの次の国に関しては、僕に決定権は一切なく世界中にあるJICA事務所の状況や判断で、僕の次の国・活動場所が決定されます。
そして次の国として決定した場所は「東南アジアの国カンボジア」
アフリカにある国から、アジアにあるカンボジアへ...
文化や歴史が違う事はもちろん言語に関しても全く異なります。(カンボジアではクメール語という言葉が使用されている)また通常の協力隊員は実際に海外へ派遣される前に派遣前訓練と呼ばれる研修内で言語に関する勉強をみっちり行いますが、僕の場合その時間が残されていなかったため現地に派遣後、基本的には自分自身で独学で語学の習得を目指すことになりました。
結果からすると:どうにかなりました。
しかしカンボジアに赴任当初は、活動に使うフレーズ・単語はもちろんの事、日常会話すら(買い物・挨拶など)もままならない状況であったため、最初の3か月ほどは毎日生きることにも必死で、活動は伝えたいことが伝わらない、選手・周りの人が伝えようとしていることがわからないという悶々とした日々が続きました。
それでも時間の経過とともに慣れていき、最終的には通常の活動・日常生活は不自由なく過ごせるようになりました。「やればどうにかなる」という事を凄く実感できた経験でした。
任国変更を通して得たものとは?
今回は「任国変更について」お話をさせて頂きました。

いかがだったでしょうか?
問題が付きものな青年海外協力隊の活動ではあるのですが、僕のように活動が原因で国を変える(任国変更)をことになる隊員は凄くレアなケースであるといえると思います。
エチオピアでの生活で様々な問題が発生し、「水泳を指導することよりも、水泳を出来る場所を探すこと」に必死になることもありました。「なんで自分だけこんなに活動が出来ないんだ?」とネガティブな感情になったり、順調に活動が出来ている他の隊員さんをうらやましく思ったり、時には嫉妬心の様な気持ちも抱きました。
「もっとエチオピアで出来る事があったのでは?」と考えることもありましたが、その当時自分自身が考え付く行動はすべて行ってきたつもりであるし、エチオピアを離れたとしても後悔は無いと言えるまで頑張ったと自己評価が出来るまでやってきたつもりです。
言語も生活も人間関係・文化など全てがエチオピアの頃と変わってしまったカンボジアでの生活ではありますが、沢山の人と出会いに恵まれ助けてもらいながら日々充実した生活を過ごすことが出来ました。
<カンボジアの選手たち>
また青年海外協力隊として与えられた2年間という時間の中で、他の隊員さんが経験できない体験・経験(アフリカとアジアでの生活)や(活動のない生活とある生活)が出来て、結果的に青年海外協力隊として凄く贅沢な時間を頂いたなと感じています。
そう感じることが出来たのも、JICAスタッフの方や多くの隊員さんや現地の方などに支えていただいたおかげだと思っています。この場を借りて「ありがとうございます」と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
苦しい・辛いことが起こったとしても「その時で自分が出来る事をやることが次のステップへ繋がる事」をこの任国変更の経験から得られたと感じていますし、沢山の出会い、笑顔であふれる時間を過ごすことが出来たことも本当に感謝すべきことであり、ずっと大切にしていたい思い出の1つとなっています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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それでは
YOSHI@