途上国への支援の仕方を考える -Think about how to support developing countries-

青年海外協力隊の話

こんにちは。YOSHI@です!

 

今回は「途上国への支援の仕方を考える」というテーマの元、お話を進めていきたいと思います。

実際、僕が青年海外協力隊として活動を行っていた、エチオピア・カンボジア両国ともどこかの国から何かしらの”支援”を受けている国でした。(その支援する側にはもちろん日本も含まれています)

そんな支援を受けている国で生活をしてみて、また実際協力隊として支援を行ってみて僕自身が感じた事や実際にあった出来事などを踏まえながらお話していければと思っています。

 

1:カンボジアで行れた日本からの水泳用品の寄付

僕がカンボジアに赴任していた期間で、カンボジアの水泳選手に対し、日本から水泳用品(水着・帽子・ゴーグル等)の寄付が1度行われましたので、その時の事をお話します。

その寄付が行われた経緯は、僕がカンボジアに赴任をする前からカンボジアで水泳隊員として活動を頑張っていた一人のボランティア(以降Sさん)から始まりました。

カンボジアではまだ水泳用品を手に入れるには、日本の様に容易ではありません。(少しずつ手に入る様にはなってきてはいる)特に競泳用という物になればなおさら…

そういった状況である為、ボランティアのSさんは日本の自分の身の回りやSNS等で声掛けを行い、日本で使わなくなった物や余っている水泳用品を集めカンボジアに寄付することにしました。

そして、沢山の日本人の方から水泳用品の寄付が集まり、無事カンボジアの水泳選手達に渡すことが出来ました。

<これぐらい沢山の物を日本から寄付して頂きました>

<実際に選手達に配布している様子>

集まった水泳用品の寄付は、ありがたくも僕が活動を行っていたコンポンチャムの選手達にも配布することが出来ました。

<用品を配布している様子>

<日本の皆さん本当にありがとうございました>

日本で置いたままになっていれば、もしかしたら捨てられていたかも知れない用品をカンボジアの水泳選手が使ってくれれば、凄く良い事だし、用品も喜んでいると思います。

そして、途上国と呼ばれる国では、このような寄付と呼ばれるものが各国・各地で頻繁に行われています。

 

2:実際支援は必要なのか?

カンボジアで行われた水泳用品の寄付についてお話をさせて頂きましたが、では実際、カンボジアの水泳用品の寄付を必要だったのか?という事をお話させて頂きます。

カンボジアに水泳用品の寄付は必要であったと僕は感じています。

先ほども触れましたが、カンボジアではまだまだ水泳用品(特に競泳用品)を入手することが容易ではありません。なので、日本で使わなくなった物があったのであれば、それを彼ら(カンボジア人)に寄付した方がいいと僕は感じています。

ただ、問題なのは物を配布した後の彼ら(カンボジア人)

実際、今回僕の活動先であったコンポンチャムの選手達に水泳用品を配布しましたが、その貰った用品を常に使っている子は殆どいない状況…(もちろんちゃんと使っている子もいます)

つまり物を貰ったことに対して満足をしていて、その先に繋がらない

という状況が起こっているのではないか?と僕は考えています。

実際、発展途上国(エチオピア・カンボジア)に居る多くの人達が

「お金を持っている国(先進国)がお金のない国(途上国)に支援するのは当たり前だ」

という考え方をしています。(実際僕も何度も言われたことがあります)

僕的には、支援されて当たり前という態度が凄く違和感でしかないのですが、彼ら(途上国の人)にはそれが普通のことなのです。

ただ、彼らが(途上国の人)そう思うようになってしまったのも、支援する側に問題があったからではないかな?と僕自身考えています

 

どういうことかと言うと、ただ支援すれば(物を与えればいい)と思っている「支援する側」の人が少なくないという事です。

 

途上国では、支援が確実に必要な状況があります

ただ、必要な場所に支援することが問題では無く、必要以上もしくは不必要な場所に支援をすることが問題なのでは。と僕は思っています。

実際、ヒトを送ったりモノを買い与えたり支援を行った(先進国が)としても、受け取る側(途上国)が本当に求めていないものであれば、それは単にモノやヒトを渡しただけで、支援(助ける)することにはなっていなく、支援したと考えている側の自己満足ではないでしょうか?

そんな自己満足な状況は世界各地で起きていて、高額な費用を使い途上国へ寄付をしたものの、全く使われていない機会や用具があったり、ヒトに関してもやることが全くなく無駄な時間を過ごしているヒトがいるなど、本来の意味での支援とかけ離れていることも沢山あります。

 

支援(助ける)って、彼ら(途上国の人たち)が最終的に独り立ちできるようにしていく事が最大の目標ではないか?と僕は思っています。

 

なので、ヒトを送ったモノをあげるという行為の先が本当の支援の始まりで、支援する側はこのモノがどういった経緯で彼ら(途上国の人)の元に届けられたのかを説明をするべきだし、使い方や管理などの仕方もちゃんと教えて、彼らが自分達の力だけでやっていけるようにすることが必要だと僕は考えています。

しかし、今も現場の状況を知らずに彼らへの(途上国の人)の不必要な支援が行われている事は確かで、支援を受ける側(途上国の人)からは、「お金が余ってるから、使ってるんだろうな」ぐらいにしか思われていなかったりします。

そうなってくると、前半でお話した通り途上国の人たちが

「お金を持っている国(先進国)がお金のない国(途上国)に支援するのは当たり前だ」という考え方になってしまってもおかしくないなと、僕は思います。そしてそれこそ、途上国で生活しているとよく耳にする「支援慣れ」という状況なんだと僕は考えています。

 

少し水泳用品の寄付の話とは逸れてしまいましたが、そういった経緯がバックグラウンドにある国の状況で、水泳用品を彼ら(水泳選手)に渡しただけではモノを貰えたという感覚以外に、彼らが感じる事はあるのか?と僕は疑問に思ってしまいました。

物を貰えたという感覚しかないから、実際貰ったものを使わない。という状況が起こるのではないかなと思いました。

でも水泳用品を貰えたことをきっかけに、練習に必死に取り組む子も多くは無いですがいる事も確かです。なので、彼らに水泳用品を寄付したことは必要な事であったと思っています。

寄付して頂いた方には本当に感謝申し上げます。

3:僕がJICAボランティアとして彼らに(自分の選手達)に伝えてきたこと

これまでお話してきた通り、いわゆる「支援慣れ」をしている彼ら(途上国の人)ですが、ボランティア(支援する人)として派遣をされた僕なりに、自分の関係する人達だけでも

●なんで日本の人たちがみんな(選手達)に水泳用品の寄付をしてくれたのか?

●どういう気持ちで日本の人たちが支援しようとしているのか?

(少しでもカンボジアの水泳選手に頑張って欲しいという思いなどの”応援”の気持ちがあって水泳用品の寄付をしてくれた)

という事が少しでも分かってくれたらいいな。と思い自分の選手達には支援をしてくれた人達の想いについて話をしてきました。

その想い(支援してくれた方)を理解することは彼らにとって大事な事であり、支援して頂いた方への感謝を含めた恩返しではないか。と僕は思うからです。

また、自分の立場(JICAボランティア)も彼らの耳にタコが出来るぐらい話をしてきました。

「僕はあくまでボランティアであって、君たちを指導するためにお金をもらっているわけでは無く、君たちがどんなに成功したとしても僕の利益には繋がらない。ただ、君たちに水泳を頑張って欲しい・好きになって欲しい・そして自分達の力で水泳を続けていけるようになって欲しいという気持ちだけでここにいるから、もし君たちが水泳を頑張ろうとしないなら僕はここにいる必要は無いし、僕がずっと君たちのサポートをしてくれると思っているならそれは間違いだ。ただ、君たちが頑張るのであれば僕はどこまでも君たちの応援をする」

と彼らには約1年間伝え続けてきました。

その僕の想いがどこまで彼らに伝わったのかはわかりませんが、少しでも理解してくれていたり、いつか「あの日本人がなんか言ってたな。」と記憶のどこかに覚えてくれればと思っています。

 

今回は「途上国への支援の仕方」という事についてお話をさせて頂きました。自分がしてきた事がかならずしも正解だと僕は思っていません。ただ、僕の立場(JICAボランティア)での支援を考えるとやっぱり、物理的な物の支援(物をあげる)よりももっと根っこの部分(考え方・人の想い)を伝えてあげる事が”僕に出来る支援”だと思ったので、そうしてきました。

色々な支援の仕方がある中で、

支援する人たちにとって本当に必要な事が支援される事を心から願っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

それでは、

YOSHI@

 

 

 

 


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